今回Acceptされた症例は、岡山県北部在住の高齢女性が突然の高熱と意識障害を呈して複数の医療機関を受診、状態悪化後に当院に搬送されMRIの特徴的な画像所見と髄液PCRから日本脳炎と確定診断されたケースです。
「日本脳炎 (Japanese Encephalitis)」を引き起こす日本脳炎ウイルスはデングウイルスやウエストナイルウイルスと同じフラビウイルス属に分類されます。本邦における感染源はブタであり、ウイルスを持つブタを吸血した蚊(コガタアカイエカ)がヒトを刺すことによって感染します。他のアジア諸国に比べて衛生状態が非常に良好な日本では本症の発症者数は年間数人から10名ほどで推移していますが、WHOによると東南アジアを中心に年間約70000人前後の感染者が発生し、20000人前後が死亡していると推計されています。
日本脳炎ウイルスに感染した場合、発症するのは0.1%から1%程度であり大多数の症例は無症候性に経過します。しかしながらいったん発症すると30%が死亡し、生存者の半数で深刻な後遺症が残るとされています。集学的な治療が発達した現代においても日本脳炎の全治率は約30%程度であり、この30年間でほとんど変化はありません。本症に対する特異的な治療法は開発されておらず対症療法が中心になるため何よりも予防が重要となります。
潜伏期間は6-16日間で、頭痛や悪心、嘔吐、高熱、急激な意識障害、項部硬直、筋強直、振戦、不随意運動を呈します。本症例でもこれらの典型的な症状が出現していました。しかし日本脳炎は前述のように発症数が非常限られており、診療経験のあるDrもほとんどいないことも影響してか、当院に搬送されるまで複数の医療機関を経由したものの全く鑑別疾患として考えられていませんでした。「日本」と冠された疾患ではありますが「日本からは忘れさられつつある疾患」という意味を込めてタイトルを付けました。
ちなみにほぼ同時期に県内の全く別の地域から同様の症状を呈する高齢男性が搬送され、本症と確定診断しています。もしかしたら「日本脳炎」は見逃されているだけで実際はもっと多いのかもしれません。
本症のMRI画像所見はT2強調画像で視床や脳幹、基底核を中心とする対称的な高信号域を示します。CTではほとんど異常は認められませんが、上記のような所見が比較的早期からあらわれるためMRIが有用です。類似する画像はヘルペス脳炎や抗NMDA受容体脳炎などですが、予防接種歴のない高齢者や東南アジアからの渡航者では本症を鑑別に挙げる必要があるでしょう。
前述のように日本脳炎の予防で最も重要なのは言うまでもなく「予防接種」です。現在使用されているワクチンは不活化製剤になりますが、2010年以前はマウス脳由来ワクチンが用いられていました。このマウス脳由来ワクチン接種と因果関係が否定できないADEM(急性散在性脳脊髄炎)の症例が報告されたことで、2005年から2009年まで厚労省から「定期予防接種における日本脳炎ワクチン接種の積極的勧奨差し控え」が行われました。そのため1996年生まれから2007年生まれの方は日本脳炎の予防接種を受けていない可能性があります。
またコガタアカイエカの存在しない北海道ではなんと2016年まで定期接種が実施されていませんでした。屯田兵やゴールデンカムイの時代ならいざ知らず、交通手段の発達した現代において生涯を道内のみで過ごす道民がどれくらいいるでしょうか。はっきりいって行政側の怠慢としか思えません。北海道出身者が身近におられる方はぜひ、日本脳炎ワクチン接種歴があるか確認いただくようにお願いします。
なお本症は岡山県にて1924年(大正13年)に死者が443名を数える大規模な流行が起こりました。この流行をきっかけに研究が大きく前進し、三田村篤四郎(後の東京帝国大学病理学教授)を中心とする研究班によって本症はコガタアカイエカによる節足動物媒介性感染症と明らかにされました。岡山県は本症のランドマーク的な場所、といっても過言ではなさそうですし、そもそも流行地域であったことあらためて意識させられました。
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